現在長野県には、様々な観光スポットなどが、数多く存在しています。
ここでは、長野県がかつて『信濃国』などと、言われていた事実などに関して、分かりやすく紹介させて頂きますので、宜しければ覚えておいて下さい。
長野県の県名とは、現在から遡る事凡そ130年前である、1871年の時代に正式に決定されました。
それ以前での更に大昔の時代では、一体どんな名称によって、言い表されていたのでしょうか?
長野県には知名度が高くて、とても有名である、『信濃の国』と言う曲名の歌がございます。
信濃の歌とは、長野県を象徴する県歌にもなっています。
長野県自体では古代からずっと、信濃国などと称されておりました。
どれ位前からかと言うと、現代から約1300年以上にもなる、大昔である7世紀終わり頃に、『科野(=シナノ)』の国が、誕生したのだと言われています。
ここから凡そ50年以降である704年に、『信濃』の漢字を改めて行きながら、信濃国の印が、初めて製作されて、姿を現す形になります。
1300年以上も過去の時代から、長野県は信濃の国と、呼ばれ続けていました。
その頃の木曽地方では、美濃(=ミノ)国となっておりました。
※美濃国とは、現在の岐阜県の事です。
この後の時代である、15世紀から~16世紀までにおいての、戦国時代へと突入した時には、現在の長野県は信濃国と言われていました。
現代の長野県と、その当時の殆ど一緒のエリアなどが、信濃国などと呼ばれていたりしました。